雑記 2024.05
#雑記
流石に正式な場所に広く発表することにはならないと思うが、
キーボードクラッシャー(a.k.a. Angry German Kid, Leopold Slikk, Hercules Beatz, Norman Kochanowski)
という言い回しが本当に出てくる論文を大学で書くことになるかもしれない
https://twitter.com/niconicovert/status/1705007544727699790
https://twitter.com/niconicovert/status/1785757215472931266
関心の分野の近い方々と具体的に喋るときの深まり方が本当にかなり楽しかったので、そのための場を個人鯖として用意したい 「作業通話」は一切なく、俺が広く品のないビジュアルデベロップメントか素朴な批評分析まがいの話題を振り続けるような
とにかく親しみにくく直球な愉快さはさっぱりだろうが
https://scrapbox.io/files/66443fc9955ee0001d40c237.pnghttps://scrapbox.io/files/66444008c2dc32001d000f28.pnghttps://scrapbox.io/files/6644403106403c001d8b4596.png
これからまた数年は孤独の話をすることになるのか
自分の思考に対して生成AI関連の エンジニアの方から言及いただけることがある
非常に情報の乗った会話ができ嬉しい
…自分は、生成AIを作る側の人間なので、生成AIによって生まれた創作物は(中身を知っているからこそ)ただの行列演算の塊にしか思えないのだけど、それに対して神秘性とか芸術的な価値とかを見出している …
鍵垢から勝手に引用しました
正確には逆の順序で解釈していて、「神秘性や芸術的な価値が信じられているもの が コンピューター上で動く明らかな行列演算の出力と区別できないこと」として考えている
カオス*ラウンジ宣言
↑出た~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。
「カスウジ AI絵師」などで検索するとここを連想している例が多く見られる 基本的にヘイト
長くなるなー
快感原則だけを意識して作るグラフィックスや映像は基本的にほぼ足し算だから好き
よさ=要素の多さ
制作における弁証法的な視点が最近頭から離れない
ある時期から、目に映るすべてがLiminal SpaceやAnalog Horror的な意匠に見える瞬間がある
調子よく制作ができるときの森羅万象からインスピレーションを得られるあの感じや、よく言われる”音MAD(或いはその他任意のジャンル)って何でもできる!”なども同根のものだと思う
covelto.iconは2021年の夏になぜか京都精華大を受験し合格している
それでなぜか蹴っていまは多摩美にいる
西成 ナイジェリア